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2008年9月

2008/09/29

蕎麦畑

080929a 自宅近くで蕎麦畑を見つけました。結構広い畑で、およそ2反程度はあるのではないかと思います。
080929b 昨日撮影したミゾソバの花と比較すると・・・少し違いますネ。
 因みに、ソバ(蕎麦)もミゾソバと同じタデ科です。

訪問日:平成20年9月29日

2008/09/28

迫間自然観察公園

080928 今日は足利市東部の迫間(はさま)自然観察公園を散策してきました。
 ここは迫間湿地と呼ばれる湿原に木道を整備した公園で、この時期は地味ながら可愛い花々が沢山咲いています。
080928a■ミゾソバ(溝蕎麦) タデ科
 わりと何処にでもある花ですが、よく見ると可愛らしい花です。
080928b■サクラタデ(桜蓼) タデ科
 公園内の至る所で咲いていました。
080928c■イボクサ(疣草) ツユクサ科
 この花もあちこちで見ることができました。なかには白花もありました。
 イボにこの草の汁を付けると、イボが取れるとか。

訪問日:平成20年9月28日

2008/09/20

早川渕彼岸花の里

080917a 2年ほど前に「ヒガンバナ群生地」としてご紹介した伊勢崎市境三ツ木の群生地ですが、今年の地元新聞(上毛新聞)のWeb版では、標題のように紹介されていました。080917b
 新聞によれば、約4,000m2の雑草地の草刈をしたところ、そこがヒガンバナの群生地とわかったのだそうです。
 場所は、国道17号(上武国道)と国道354号が交差する所で、みどり市大間々町から流れ出た早川が両国道の下を流れる所です。

訪問日:平成20年9月17日

2008/09/13

赤城山 初秋の花々

 先日掲載しました覚満淵の花の他にも、赤城山の色々な所で初秋の花が咲き始めていますので、他の写真をご紹介します。

080908j
■センニンソウ(仙人草)キンポウゲ科
比較的標高の低い道路沿いに咲いていました。
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■ツリフネソウ(釣船草)ツリフネソウ科
道路の中間地点辺りに咲いていました。ちょっとした群落を作っています。
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■キツリフネ(黄釣船)ツリフネソウ科
覚満淵の入口にある「風の庵」( かぜのいおり )という蕎麦屋(茶屋?)のお庭に咲いていました。このお店は、私の同僚の姉さん夫妻が営んでいますので、ご贔屓に。蕎麦、美味かったです。
■ヤマラッキョウ(山辣韮) ユリ科
「風の庵」側から覚満淵に入ると、手前に10m四方程度の孤立した小湿原があります。そこに咲いていました。
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■オヤマリンドウ(御山竜胆)リンドウ科
覚満淵の木道から手の届きそうな所にも咲いています。
080908g
■サラシナショウマ(晒菜升麻)キンポウゲ科
ふたたび道路沿いに戻りまして、鳥居峠の200m程手前、小沼への分岐辺りに咲いていました。
撮影日:平成20年9月8日

2008/09/08

アケボノソウ(曙草)

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080908b
 リンドウ科のアケボノソウです。赤城の覚満淵で撮影しました。
 今日は晴天に恵まれ、吹く風はすっかり秋。そろそろ山にも秋の花が咲き始めているのではないかと思い、覚満淵の散策をしに行ってきました。
 秋の花は他には、ウメバチソウ・ヤマラッキョウ・オヤマリンドウ等も咲き始めていましたが、ウメバチソウなどは私の持っているレンズではとても撮れない様な木道から遥か向こうでした、残念。
訪問日:平成20年9月8日

2008/09/07

クズ(葛)

080907 クズ(マメ科)です。
 時々訪れる近所の沼の土手で撮影しました。
 例年だと葉が虫食いだらけなのですが、今年は綺麗な葉のままで撮影できました。

撮影日:平成20年9月7日

2008/09/01

山上城(桐生市新里町)

 山上城は桐生市新里町にあり、近くには以前ご紹介した膳城中村城の他 女渕城など、戦国の城跡が多い地域にあります。
 詳細については、文末に石碑から起こした文章を載せましたので、ご参考にして頂ければ幸いです。

080901a 本丸北側に建つ石柱です。左下には三等三角点(点名:山上)があります。
080901b 三の丸は「城址公園」として、広大な芝生になっています。
080901c 二の丸は飛ばして本丸です。この奥に最初の写真の石柱があります。
 しかし、どこの城跡に行っても絶対に子供が遊ばない様な遊具があるのは何故でしょう?
080901d 三の丸・二の丸。本丸の西側に築かれた堀切です。この堀切には両側にアジサイが植えられていて、季節には沢山の花が見られるのですが、手入れがいまひとつで、あまり訪れる人は無いようです。

[ 山上城由来 ]
 山上城は、鎌倉時代から流行した館造りの本丸を中心として、同様の長方形の郭を組みあわせた南北約650m、東西約220mの細長い形状の丘城である。
 北から南へ笹郭・北郭・本丸・二の丸・三のと並び、ふたつの掘切りを隔て、高さ約5mの物見台を持つ南郭へ続き、空堀・帯郭・腰郭が渦状にめぐっている。更に、東の蕨沢河、西の山田川の侵食による谷地が堀の役目を果たしており、巧妙な手法によって築城されていることがわかる。
 この城は、田原藤田といわれた藤原秀郷の子孫である五郎高綱が山上の姓を名乗り居城とした。高綱の子、太郎高光は源頼朝に仕え、上杉氏が関東管領の頃は、由良氏・薗田氏・桐生市とともに東上州四家として、重要な役割を果たしていた。
 北条・武田・上杉氏など群雄が割拠した戦国動乱のなかで、戦国時代末期の天正18年(1590)廃城となった。
昭和23年11月26日 県指定史跡
訪問日:平成20年9月1日

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