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2008/09/01

山上城(桐生市新里町)

 山上城は桐生市新里町にあり、近くには以前ご紹介した膳城中村城の他 女渕城など、戦国の城跡が多い地域にあります。
 詳細については、文末に石碑から起こした文章を載せましたので、ご参考にして頂ければ幸いです。

080901a 本丸北側に建つ石柱です。左下には三等三角点(点名:山上)があります。
080901b 三の丸は「城址公園」として、広大な芝生になっています。
080901c 二の丸は飛ばして本丸です。この奥に最初の写真の石柱があります。
 しかし、どこの城跡に行っても絶対に子供が遊ばない様な遊具があるのは何故でしょう?
080901d 三の丸・二の丸。本丸の西側に築かれた堀切です。この堀切には両側にアジサイが植えられていて、季節には沢山の花が見られるのですが、手入れがいまひとつで、あまり訪れる人は無いようです。

[ 山上城由来 ]
 山上城は、鎌倉時代から流行した館造りの本丸を中心として、同様の長方形の郭を組みあわせた南北約650m、東西約220mの細長い形状の丘城である。
 北から南へ笹郭・北郭・本丸・二の丸・三のと並び、ふたつの掘切りを隔て、高さ約5mの物見台を持つ南郭へ続き、空堀・帯郭・腰郭が渦状にめぐっている。更に、東の蕨沢河、西の山田川の侵食による谷地が堀の役目を果たしており、巧妙な手法によって築城されていることがわかる。
 この城は、田原藤田といわれた藤原秀郷の子孫である五郎高綱が山上の姓を名乗り居城とした。高綱の子、太郎高光は源頼朝に仕え、上杉氏が関東管領の頃は、由良氏・薗田氏・桐生市とともに東上州四家として、重要な役割を果たしていた。
 北条・武田・上杉氏など群雄が割拠した戦国動乱のなかで、戦国時代末期の天正18年(1590)廃城となった。
昭和23年11月26日 県指定史跡
訪問日:平成20年9月1日

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