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2009年10月

2009/10/19

大胡城(前橋市河原浜町)

 大胡城跡がある河原浜町は旧勢多郡大胡町(せたぐん おおごまち)の中心街の北に位置します。東を流れる荒砥川沿いの県道を通ると、大胡城の主郭部分が巨大に見えるので、直ぐにその所在はわかります。
 かつては、南北670m、東西310mに及ぶ規模だったとの事ですが、現在は本丸・二の丸部分を残すだけとなっています。しかし、それだけを見ても充分満足できます。
091019a L字型に本丸を囲む二の丸東側から本丸を見たところです。間には深い堀があります。
091019b 本丸です。白いフェンスの向こう側は、切り立った崖になっています。
091019c 二の丸南端から三の丸跡を見下ろした写真です。見える建物は、市役所の大胡支所のようです。

訪問日:平成21年10月19日

大胡城跡
 城跡は、南北に走る丘陵上にある平山城で、本丸を中心に二の丸を囲部的に配し、北に北城(越中屋敷)、近戸曲輪、南に三、四の曲輪があり、東は荒砥川が流れ、その間に根古屋、西には西曲輪の平坦部が附加され、南北670m、東西最大幅310mの規模を持つ。枡形門、水の手門虎口、空濠、土塁等の跡が良く残っている。中世上野の名族である「大胡氏」が拠ったと言われている。
 天正18年(1590年)徳川家康の関東入部により牧野氏が大胡領2万石に封ぜられ、康成、忠成二代の居城となった。
 牧野氏は元和2年(1616年)に越後長嶺へ、そして長岡へと転封された。以後、大胡城は前橋藩領となり。酒井氏時代には城代が置かれたが、寛永2年(1749年)酒井氏が姫路へ転封に際し、廃城となった。
[城跡内の案内板より]

2009/10/18

鶉古城(邑楽郡邑楽町)

 ハクチョウの飛来地として有名な多々良(たたら)沼ですが、沼に突き出した半島状の部分が公園になっていて、そこが鶉古城(うずらこじょう)跡です。毎年何度となく訪れるのですが、いつも野鳥観察に専念していました。でも、今日は城跡に目を向けてみました。
091018a とはいえ、先ずは鳥見から。既に何羽かのハクチョウが来ていました。サギ師たちの向うに1羽のハクチョウがいるのがわかります。
091018b それでは城跡の写真。半島の付け根部分が公園の駐車場になっていて、その直ぐ隣には空堀と土塁が残されています。
091018c 続いて、二の丸から本丸方面を見た写真です。北側(写真左側)は、森になっています。
091018d 本丸の更に先には弁天島があり、お堂が建てられています。

訪問日:平成21年10月18日

鶉古城跡
 鶉新田(うずらしんでん)小城(こじょう)にある。多々良沼に突出した「荒間崎(あらまさき)」と呼ばれた半島部に築かれた城である。城名については、葵下坂(あおいしもさか)といわれた幕府御用鍛冶康継二代の弟が、この地に住み脇差に「鶉古城打」という銘を残しているところから江戸初期すでにこの名称が使われていたものであろう。
 城跡西南端に当たる入口の道路付近から、半島部を横断するように北に向って直線にのびる高さ3m、長さ250mほどの土塁とその西側に沿って空堀がある。
 元弘3年(1333年)5月、北条高時が鎌倉に滅ぼされたとき、その弟の僧慧性(えしょう)・荒間朝春らはともに逃れて来て、ここに築城。応永年間(1394~1428年)には多々良四郎忠致(ただむね)の居城となり、さらに戦国時代を迎えると、館林城主の重臣で下野国小曽根郷八形(足利市高松町)城主小曽根政義は小田原北条氏の来攻に備え、兼帯で当城を守備した。しかし、天正18年(1590年)館林落城に伴い廃城となり鶉古城250余年の歴史を閉じた。今はわずかに残る塁濠と、先端浮島に安置してある南北朝期と推定される墓石の一部が、辺りの風景とともに往時の繁栄を物語る。
邑楽町教育委員会 [公園内の案内板より]

2009/10/12

小泉城(邑楽郡大泉町)

 古城めぐりをするのに良い季節になりました。
 そこで、先ず手始めに以前から気になっていた小泉城に行ってきました。場所は、太田市の東隣の大泉町です。大泉町にあって小泉城??? 国道354から500m程北にあり、周囲は住宅地が広がる静かな所です。城跡や周囲の公園では、多くの人が寛いでいました。
091012b 本丸の周囲を囲むお堀。
 左側の土塁の奥が本丸。右側が二の丸。
091012a 四方を土塁に囲まれた本丸跡。
 後ろ(東側)に二の丸、左側(南側)には三の丸(現在北中学校)があります。

訪問日:平成21年10月12日

小泉城跡(冨岡城跡)
 小泉城は、延徳元年(1489年)冨岡主税介直光が縄張りをしたことに始まり、以後冨岡氏六代、約100年余の居城として栄え、威容を整えたものである。現在の城跡は、小田原北条氏の傘下に入ってから改築されたものと考えられている。
 城の形態は平城で、本丸、二の丸、三の丸からなり、中心部は回字型をもつ囲郭式平城の典型で、県内でも有数の城跡である。
 本丸の水堀と土塁、三の丸の一部の水掘と土塁がかなり良好な形をとどめている。本丸北東隅の「櫓台跡」と西南隅の「折り」と「櫓台跡」は、正面、北面、西南面を防護する横矢櫓の備えを明瞭に残していて、戦国期城郭の特徴をよく遺存している。
 天正18年(1590年)、小田原北条方に組していた冨岡氏は、豊臣氏の小田原攻めとともに破れ廃城となった。
大泉町教育委員会 [公園内の案内板より]

2009/10/04

梅鉢草

091004■ウメバチソウ(梅鉢草)ユキノシタ科
 花は既に終盤ですが、まだ沢山咲いていました。花の形が「梅鉢紋」に似ている事からウメバチソウ。前田利家の家紋だそうです。
 撮影場所は榛名山の小さな湿地です。この湿地も徐々に乾燥化が進み、いつまでこれらの花々が見られるか心配です。

撮影日:平成21年10月4日

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