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2009/10/18

鶉古城(邑楽郡邑楽町)

 ハクチョウの飛来地として有名な多々良(たたら)沼ですが、沼に突き出した半島状の部分が公園になっていて、そこが鶉古城(うずらこじょう)跡です。毎年何度となく訪れるのですが、いつも野鳥観察に専念していました。でも、今日は城跡に目を向けてみました。
091018a とはいえ、先ずは鳥見から。既に何羽かのハクチョウが来ていました。サギ師たちの向うに1羽のハクチョウがいるのがわかります。
091018b それでは城跡の写真。半島の付け根部分が公園の駐車場になっていて、その直ぐ隣には空堀と土塁が残されています。
091018c 続いて、二の丸から本丸方面を見た写真です。北側(写真左側)は、森になっています。
091018d 本丸の更に先には弁天島があり、お堂が建てられています。

訪問日:平成21年10月18日

鶉古城跡
 鶉新田(うずらしんでん)小城(こじょう)にある。多々良沼に突出した「荒間崎(あらまさき)」と呼ばれた半島部に築かれた城である。城名については、葵下坂(あおいしもさか)といわれた幕府御用鍛冶康継二代の弟が、この地に住み脇差に「鶉古城打」という銘を残しているところから江戸初期すでにこの名称が使われていたものであろう。
 城跡西南端に当たる入口の道路付近から、半島部を横断するように北に向って直線にのびる高さ3m、長さ250mほどの土塁とその西側に沿って空堀がある。
 元弘3年(1333年)5月、北条高時が鎌倉に滅ぼされたとき、その弟の僧慧性(えしょう)・荒間朝春らはともに逃れて来て、ここに築城。応永年間(1394~1428年)には多々良四郎忠致(ただむね)の居城となり、さらに戦国時代を迎えると、館林城主の重臣で下野国小曽根郷八形(足利市高松町)城主小曽根政義は小田原北条氏の来攻に備え、兼帯で当城を守備した。しかし、天正18年(1590年)館林落城に伴い廃城となり鶉古城250余年の歴史を閉じた。今はわずかに残る塁濠と、先端浮島に安置してある南北朝期と推定される墓石の一部が、辺りの風景とともに往時の繁栄を物語る。
邑楽町教育委員会 [公園内の案内板より]

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