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2015/02/22

永井坂城(渋川市-昭和村)

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 久しぶりの戦国の城探訪です。
 今回は、関越自動車道永井坂トンネルの真上にあり、渋川市(旧赤城村)と利根郡昭和村に跨る永井坂城です。
 最初の写真は、関越道上り車線上から見た城跡です。
 次は、城址から北側の関越道を見下ろした写真で、右が上り、左が下り車線です。
 高速道から見ると大変分かりやすいのですが、一般道からは非常に行き難い場所にあります。
 北側の永井川の谷底から急斜面を登ると、利根川の河岸段丘上に出ます。
 そこは赤城山の西麓台地になっており、そこに永井坂城があります。
 3番目の写真の左側手前が三の丸、その奥の少し高い所が二の丸、そのさらに奥の森が本丸です。
 二の丸と三の丸は、以前訪れた時はコンニャク芋の収穫真っ盛りでした。
 最後の写真の右側が馬出し左側が本丸です。
 この先は断崖になっています。

訪問日:平成27年2月22日
県指定史跡
 永井坂城跡
指定年月日 昭和55年9月16日
所 在 地  渋川市赤城町棚下
利根郡昭和村永井

 旧沼田街道の永井坂にあり、北は長井の沢の急崖、西は利根川の断崖に臨む断崖城で、南北260m、東西80mほどの囲郭式の山城である。 西端の断崖上に3方を高さ2.5mの土塁によって囲まれた本郭がある。
 「加沢記」によれば、永禄3年(1,560年)長尾景虎(上杉謙信)が関東出馬の際に長井坂に陣を張り、降伏した沼田顕泰(万鬼斎)を引見したとあることや、城郭構造からみて永禄期以降の築城と考えられています。
 天正の初めに北条氏の持城となり、近隣の地侍集団が城番を勤めました。 天正6年(1,578年)真田氏が沼田城を略取すると、永井坂城が鉢形城の核とした北条方の北方最前線の要となって、北条・真田両氏激突の攻防が繰り返されましたが、天正18年の小田原城の落城とともに、廃城となりました。
群馬県教育委員会
渋川市教育委員会
昭和村教育委員会
(案内板より転載)

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